こんにちは、めたぼザビでございます。
今回は、寮生活回に引き続き、思い出シリーズです。
おそらく、ネトゲ廃人時代に次いで自堕落だった時期になります。
こたびも、エンタメ感覚でご覧いただければ幸いでございます。
これがいわゆる黒歴史というやつです。
ドヤ顔で東大に入学するも。。。
お恥ずかしながら、大学生最初のイベントは入学式だと思っておりまして、合格後は地元でふんぞり返っていたわけです。
しかし、諸手続きなるものがあると知り急遽上京、学生証の取得やサークル勧誘などを受けました。
その際に大チョンボをやらかしてしまうのです。
オリ合宿を欠席する
オリ合宿というのは、オリエンテーション合宿的なやつで、クラスのみんなと保養所みたいなところに宿泊して親睦を深める、というものです。
もちろん参加強制ではありませんが、欠席すると夏学期が始まった途端にクラスで浮いて干されることになるため、ほぼ全員が参加するイベントとなっています。
しかしながら、諸手続きの際に、私はあろうことか欠席を選択してしまうのです。
私が欠席したのには以下の理由があります。
・日程が諸手続きや入学式と隣り合っておらず、往復の交通費が別途かかること。
・中学入学のときにあったオリエンテーションがクソほどつまらなかったこと。
こうして、スタートで既にコケていることなどつゆ知らず、入学式を迎えることとなりました。
なんと、慶応に入学することになった友人からオリ合宿の重要性を聞かされることになります。
他大生が知っていることも知らないとは、なんという情弱っぷりでしょう。
小柴昌俊氏を知らない東大生
入学式当日、緊張しながら武道館に入ります。
何の変哲もない成績で入学となったので、かなり上階の席でした。
野球場で言うとC席です。とはいえ、一階の首席連中以外は平等なのでクラス順に配置されただけですが。
この時点ではまだ、オリ合宿に私以外のクラス全員が参加していたことなど微塵も知りません。
学長含め、いろんな人が祝辞を述べてくれます。
そんな中登場したのが、ノーベル賞を受賞して数年の、小柴昌俊氏が演説を始めました。
武道館中が沸かんばかりの万雷の拍手でしたが、山奥で情報が隔絶された寮に住んでいた私、なんと彼を存じ上げなかったのです。
隣の人(実はあとで同じクラスの人だと知る)に「有名なんですか?」って聞いたら、「え、知らないの?」と真顔で返されたことを覚えています。
たしかに、知らなかった私も大概ですが、彼で万雷の拍手が起こるあたりはさすが東大だなと、カルチャーショックを受けたものです。
やっとクラスで浮いていたことを知る
説明していませんでしたが、クラスは第二外国語の選択を基にして編成されます。
無論、誰やこいつみたいな目で見られましたが、それを逆手にとって「誰やこいつでいじられるキャラ」でいった結果、すぐにクラスに馴染むことができました。
新フェスや五月祭のような、出店を出すイベントでは、会計係という財務を仕切るポジションだったため、なんとか孤立せずに済みました。
文III、文I、ネコ、文II
進学振分け
東大の特色の一つに、「いきなり専門学部には行かない」というものがあります。
よく文Iと法学部は同一視されますが、これはあくまで法学部に行きやすいというものに過ぎず、文IIIから法学部にいくことも可能です。
当時の文系は、必修である語学&基礎演習&スポーツ身体運動、準必修である方法論基礎、自由選択できる総合科目に分かれていました。
これらの平均点が高いほど、行ける学部の選択肢が広がります。
この、点数に応じて学生の進学先を振り分けるシステムを、進学振分け(通称進振り)と呼んでいます。
各講義の成績は優、良、可、不可でつけられます。優は80以上、良は65点以上、可は50点以上となります。(つまり個別の点数はよくわからないようになっています。)
忙しい文IIIと暇な文II
文IIIはだいたい文学部または教育学部に行くといわれていますが、選択肢が多岐にわたる一方で各学科の定員はそこまで多くないため、この進振り制度を強く意識しながらキャンパスライフを送ります。
当時、文IIIで落ちこぼれた場合に行くとされていたのが「インド哲学」でした。(実はめちゃくちゃ就職いいらしいです。)
一方、文IIのほうはというと、単位さえとれば経済学部に行ける、ぶっちゃけ全部可でもOK!状態でした。(もちろん、他学部に行くなら高得点を要求されます。)
文Iも似たような状態(単位とれれば法学部に行ける)だったのですが、法学部は進学してからきついということで、なぜか文IIだけがネコ以下という扱いだったのです。
というわけで、だいたいの文II生は部活かバイトにいそしみます。
出席点があるのは語学、スポ身、基礎演習くらいなものなので、だいたいは試験一発で済むのです。
そこで設置されるのがシケ対(おそらく試験対策の略)です。
クラスで役割分担して「お前はこの講義に出て試験の対策プリントを作る」的なチーム戦が展開されます。
そんなわけで、必修とシケ対担当講義以外出席しなくなるダメ学生めたぼザビの下地がここでできあがるのでした。
ちなみにワシの担当は、準必修の歴史と経済、それから総合科目のインド民法でした。
干される基礎演習
基礎演習は、テーマを一つ選び文献を漁ってレポートを書き、成果をクラスの皆の前で発表するというものです。
私のクラスは、一度の講義で3人が発表して、そのどれかに対しクラス全員各自が批評を書き提出するコンテンツまでがセットでした。
テーマは完全フリーというわけではなく、私たちのクラスは日本がらみの「戦争」でした。
最初は初代「ゴジラ」を鑑賞したり、「日本でいちばん長い日」を鑑賞したりとまったりした講義だったのですが、いよいよプレゼンフェーズに入ります。
なんと私、トップバッターになってしまいました。
書き方に語弊がありましたが、これには狙いがありました。
トップバッターというものは、何もハードルがないのです。
すごい発表をした人の次に自分がまわってきたときのリスクは、計り知れないものがあります。
参考文献は10冊ほどね~なんて言われていましたが、ダメ学生の私、1冊だけ読んで残り9冊は使いそうなところだけちょちょいと読んでレポートを仕上げました。
いわゆる一夜漬けスタイルです。
そして発表を迎えました。私のテーマは関東軍でした。
この手の、地方の有力者が暴走する例は古今東西あるものなので、そういった例との共通点や相違点を考察しながら発表を終えました。
ここでイレギュラーが生じます。トップバッターだったからか、教授の批判が半端ではなく、それはそれはボロックソに言われたわけです。
当然、火のある所には近づきたくないので、誰も私のレポートに対する批評文を書かない、という事態が起こりました。
成績は批評文に関わらず、提出されたレポートを教授が吟味して判定されます。
その後レポートは返却されるわけですが、その時の教授のコメントがこちら、、、
君のレポートは全然悪くないのに、なぜ批評文が一つもなかったのかがわからない。
いや、あんたのせいなんよ。。。
というわけで、基礎演習の単位は「優」でした。一応優は3割までしか出せないので、上位3割に入っていたということになります。やれやれ。
語学のやる気が出ない
ダメ学生あるある、語学の成績が悪い、です。
中国語のピンインに苦戦
中国語の勉強をするとき、漢字とは別にピンインという、英語で言う発音記号のようなものがあります。
教授によるのですが、うちの教授はピンインで作文をさせる鬼畜スパルタ式でした。
ピンインには4種類の声調があるため、単純に漢字で書くより4倍の難易度になります。
夏学期はちゃんと出席して出席点も取ったのですが、最後のテストでミスって素で不可りました。
冬学期はやる気が起こらず出席点はほぼゼロでしたが、徹底してピンイン対策をしたため、最後のテストは8割超、成績は「可」でした。
講義中に前列に座ってみかんを食べたら怒られました。
夏学期の不可は、2年生になった際に「他クラス聴講」というやつでリベンジするのですが、それはまた別のお話。
そもそもね、冬学期は出席しておけば「優」だったわけですよ。
これが「可」だったことが後々禍となります。
英語にも苦戦
英語には、教授に関わらず同じことをやる英語I、教授ごとにやることがバラバラの英語IIがあります。
実は中国語はI~IIIまであるのですが、IIやIIIは鬼畜ピンインにさらされなかったのでそこまで難しくはなかったのです。
IIIで覚えていることと言えば、教授がエビチリ嫌いな女性中国人だったことくらいです。
英語Iは講義ごとのワークシートを提出することで出席点がもらえるのですが、やる気が起きずにドロップアウトからの不可、冬学期も同様でした。だって長文難しいんだもん。
英語IIは講義案内を見ながら、自分の希望を第1~第3まで書いて提出します。
しかし、夏冬共に希望の1~3どれも叶えてもらえませんでした。普通に心が折れます。
夏学期はそこそこ点数を持った不可だったのですが、冬学期に地獄が訪れます。
黒船でやってきた(嘘)大鬼クリストファー=タンクレディ
生涯彼の名前を忘れることはないでしょう。
大鬼というのは、「逆評定」という有志が出版する「単位をくれる教授番付表」みたいなものです。単位をくれる順に神>大仏>仏>鬼>大鬼となっています。
その大鬼の中でもひと際輝きを放っていたのが彼です。
講義内容はどんなものだったかというと、、、
毎週、自分で英語の本を見つけ読破し、その要約を数百語で書き、読破に必要な重要単語を英英辞典風に説明し、その本の所感を英語で書く。
これを毎週やる、しかも教養課程かつ2単位。。。この辛さがおわかりいただけるだろうか。
そしてお気づきだろうか。彼は講義中何もしないことに。
しかも、2回5分以上遅刻したら不可、というまあまあやばい感じでした。
数週間やってみたものの、他クラス聴講に期待し戦略的撤退。
ゼミだと錯覚していた時期が僕にもありました。
メラゾーマではない、メラだ、という大魔王バーンの声が聞こえてくるようでした。
誤解のないように申し上げておきますが、彼は教授としては一流のようで、現在は慶応にご在籍のようです。慶応生どんまい
というわけで、1年次は英語は全部「不可」という凄惨な結果に終わりました。
ここから中国語同様「他クラス聴講」で巻き返すのですが、それはまた別のお話。
平均点合格とスポ身
スポーツ身体運動は、出席するだけで単位が来ます。
夏学期はフィットネスすなわち筋トレするだけだったので、皆勤賞でした。
アメフトサークルだったので鍛えるのは必須でしたからね。
しかし、冬学期はバレーボールでした。どうもやる気が起きません。
というわけで、最初と最後以外欠席してしまいました。
最後はチーム対抗の試合でした。スポ身の履修はクラスが関係ないので、周りは知らない人ばかりでした。
当然、誰やあのデブ、となるわけです。しかし、そのデブはサーブで連取、フェイントで得点ができるデブだったのです。
ビギナーズラックで我がチームは優勝をしてしまいました。
その足で、ダメもとで教授のもとへ行き土下座を敢行。そこで、
なんかレポート書いてくれたら平均合格するくらいの点数は上げるよ。
というお墨付きをもらいました。
平均合格(平均点合格)
東大に存在するダメ学生出荷システムの一つ。
(画像は2019年のものなので当時とは異なります)
要は、平均が50とれていれば、不可でも可をあげるよシステムです。
たとえば、スポ身の場合、夏学期が75点あれば、冬学期が25点でも平均は50を超えているので、冬学期が不可でも進学できる、といった具合です。
このシステムの恩恵を一番受けられるのは英語です。英語IIは1年間ですが、英語IIは2年間あります。
英語I英語IIすべての平均が50あれば、個別でどれだけ不可をとろうと進学できる、そんな神システムです。
当然私は、基礎演習以外のすべての必修で、このシステムに世話になることになります。
さっそくスポ身でお世話になりました。
友人の支援で総合科目突破
試験一発、出席点なしであることが多い総合科目ですが、夏学期のシケ対制度も冬学期にはなくなり、各自頑張ってね状態になります。
急にそうなっても対応できるわけもなく、試験目前に「やばいよやばいよ」となるわけです。
それを見かねた友人が僕を誘ってくれて、毎晩彼の家に泊まり込んで勉強しまくる日々が続きます。
一人でやるとすぐに怠けますからね!
家だけじゃ飽きるので、ジョナ徹やデニ徹(ジョナサンやデニーズで徹夜勉強すること)も駆使して、スケジュールいっぱいに詰め込んだ総合科目の単位をほぼほぼゲットしました。
社会思想史ごっつぁん優
社会思想史という総合科目がありました。
僕の周りでは誰もとっていなかったため、これを切って他の科目に注力しようと心に決めていたのですが、なぜか「優」がもらえていました。
徹頭徹尾出席しなかったため、教授の顔も知りません。でもなぜかもらえました。
明らかに誤りなのですが、正直に報告するほど私は誠実な人間ではありません。
もらえるものはもらっておきました。ありがとう。
まとめ、あとがき
いかがでしたでしょうか?
自堕落の大学1年時代について語りました。
ここだけみると、FIREのフの字も出てくるような要素は一つもありません。
まるですでにFIREしたかのような生活です。
大学2年の時にそのツケを払い、いろいろなことに着手し、大学3年でちょっとした覚醒をします。
ですがそれまだ先のお話です。
ご精読ありがとうございました!
コメント
大学では第2外国語が中国語だったので、ピンイン懐かしかったです。
大学に入学したころ学部を間違えたと感じていたので、進学振り分けのある東大はうらやましく感じていました。
つづきを楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
ピンインうっとうしいですよね?w
2年生が人生の転機なので後日書こうと思います。